かがみデザイン

KEEPWALKING 四十男が中小企業診断士やミニマリストを目指したっていいじゃない!

【断捨離月間百個捨て作戦】使わなくなったメモリ【ミニマリスト化への道No.023】

昔、メモリは高かった

 
昔のPCはCPUもメモリもHDD容量もグラフィック能力も全てが非力で、快適なPC環境を作るのにはそれなりの財力と労力と工夫が必要であった。そしてPC関連の品物は今みたいにコモディティ化されておらず、どれも結構なお値段がしてた。その中でもメモリは増設することでOSの稼働が安定することもあってかなり大事な品物として認識していた。
 
例えばメインPC、セカンドPC、特定用途専用機・・・などとPCの台数を増やしていく際には「なるべく新しいPCパーツを購入する支出を抑えたい」というのがお金の無かった私にとってはセオリーであり、それを実現するためには入れ替え等で余ったPCパーツをストックしていくという仕組みが身に染みてしまった。そういった事情で私の断捨離記事にはPC関連の品物がたくさん出てくることになると思う。
 

今やスマホのメモリがギガの世界

 
今回捨てたメモリはDDRの256MBがデスクトップで2枚、ノートで2枚だった。DDR2ですらない、DDRだ(時期にしてPentium4AthlonXPの頃のメモリ)。 必要か不要かで言えば・・・もちろん不要だ(笑)もはや使う場面はそうはあるまいて。
 

f:id:kagamidesign:20161124212817j:plain

 
こんな品物でもバカにしちゃいけない。当時は512MBもあればWindowsXPがそこそこ動くもんだからメモリさえ確保しておけばセカンドPCやサードPCを増やすハードルはぐっと低くなったものだ。
 

PCの台数を減らしている今、不要そのもの

 
近年では私自身のPCやスマホ等、デジタルガジェットとそれを取り巻く環境についての考え方にも大きな変化があった。劇的に変化しているのは「デスクトップPC不要論」で、既にノートPCしか使用していないし、今年からは「PC台数絞り込み」路線の考え方で、必要な台数が揃えば他は不要という一般的な人ならば至極当然の考え方に辿り着いた。一昔前はデカいブチメカを何台も揃えた大鑑巨砲主義を地で行くような陣容にうっとりしたし、憧れたし、実際それなりに便利でもあったのだが結局PCっていうのは自分にとっては思考をまとめ、形にしていくための道具でしかなくて、その道具にこだわりはあるものの使わない道具を揃えても仕方ないじゃないかという境地に辿り着きつつある。
 

ストックしているPC関連の品物が減ることは、自分が生まれ変わっている証

 
バカバカしいと思うかもしれないが自分にとってはデジタルデバイスを取り巻く環境というものは、ある種ライフスタイルのような思い入れがある。そんな私が今絶対に不要だろうということが判っているとはいえPCパーツのストックを処分するなんて事は、かなり劇的な変化だと自分では思っているし、誰かに共感してもらいたくもある・・・
 
けど、こんなオタクのミニマリスト志向への感情なんて、誰も相手してくれないだろうな(笑)
 
(1170字)