かがみデザイン

KEEPWALKING 四十男が中小企業診断士やミニマリストを目指したっていいじゃない!

【断捨離月間百個捨て作戦】古いG-SHOCK【ミニマリスト化への道No.025】

壊れていないから、使えるのだけれど・・・

 
壊れていないから使えるというのは、断捨離的には結構悩ましい問題だったりする。
「もったいないオバケ」よろしく、日本人のDNAに使えるものを再利用する魂が伝承されているのではないかと思える。そしてそれ自体は本当にいい心がけだと思うし、ミニマリストを目指すならば無いよりはあったほうがいいのかもなと今の時点では想像している(=足るを知るということはモノが必要以上に増えないかも?)
 
しかし、現代のように情報もモノも溢れている中では、DNAが感じるままにモノを「もったいない」と思ってとっておくと、無限にモノが増えていくのではないかと今は考えている。今日の話題は、断捨離的には重要ポイントを含むのかもしれない。
 
 

使い古してボロボロのG-SHOCK

 
今回話題に取り上げたのは、20代前半の頃に買ったG-SHOCK。その頃一生懸命ハマってたパチンコでかなり勝った時に帰りがけに何の気なしに買い求めたものである。
 

f:id:kagamidesign:20161129212344j:plain

 
なお、少し脱線するが今現在はパチンコ・パチスロの類はやっていない。そこに得るものは何もないということがわかってしまったからだ。
 
話を元に戻そう。大学生の頃は時計を持っていなかったがバイトの時とかに時計がないと結構困ったりした。どう困るかっていうと腕時計が無ければ「あと何時間拘束されるんだろう?」ってのが常にわかるわけじゃないからだ。たまたま壁時計が見えたりすればいいんだけど、そうじゃない時とかに困る。働くの大嫌いだったからね。今思えばかなり腐ってるバイトだと思う(笑)
 
G-SHOCKを買ったのは単純にあまり時計、というかファッションというものに関心がなかったのと当時はG-SHOCKが大ブームになってた上に、メカメカしくてデカいG-SHOCKは嫌いじゃなかったのとで。どうせパチンコで勝ったあぶく銭だし、買っちゃえって感じでサクっと入手してしまった。
 

長い間、唯一の時計として大活躍した

 
その後、社会人になり幾度かの転職等を経る間、ゆうに10年以上私が持つ唯一の時計として活躍した。ちょうどガラケースマホ初期の頃に重なって世間的にも腕時計不要論が盛んだった時期でもあって、とりあえず腕時計しなきゃいかん時にできればいいや、程度の認識だった私にとっては充分な時計だったのだろう。ベルトが切れて使えなくなるまで使い込んだ。記憶では今から5年位前までは使っていたはずだ。
 

電池を入れて、ベルトを交換すれば使えるけどさ

 
この時計は電池を入れて(1,000円~5,000円程度)、ベルトを交換すれば(4,000円程度)まだまだ元気に動くことは動く。そしてそれをだいぶ迷っていたことも事実だ。一方で今の私の暮らしで、真っ黒でゴムっぽさ全開してるG-SHOCKをつける場面があまりない。さすがに齢四十を過ぎるとスーツに20年位前のボロボロのG-SHOCKが合わないことは判るし、今はそういうイメージも一応大事にしたい仕事でもあるのだ。
 
プライベートではタフに使えるG-SHOCKを欲しかったりもするんだけど今の好みはやっぱり若い頃の好みとはだいぶ違うし、G-SHOCK自体の性能やデザインも劇的によくなってきている部分がある。
 
そうした状況下でMAX9,000円近くにもなりうるコストをかけて、過去の思い出ってだけの品物を復活させるというのがどうしても今の自分の感覚とズレが生じていることを認識していた。認識した上で、どうしようかなー、迷うな―って、思考がぐるぐるしていた。かれこれ3年以上ぐるぐるしてたことになる。無駄なエネルギーだった。
 

シンプルな環境でスッキリとした状況判断と生き方を

 
私が断捨離にいそしんでミニマリスト化を志す理由は単に部屋をきれいに快適にというのもあるのだけど、精神的にも物理的にも無駄をそぎ落としてこれからの生き方に最適化させることでトータルで自分自身と自分の周囲を幸せにしていきたいという意向があるからだ。そういうスケールで捉えた時に、この使い古したG-SHOCKというのは、どうにも中途半端なのだ。だから、思い切って捨てることにした。「迷うくらいならば捨てても困らない」とはミニマリストの方がよく言われることだが、それに従ってみることにしたのだ。心がちょっと傷付くけどね。
 
(1755文字)