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KEEPWALKING 四十男が中小企業診断士やミニマリストを目指したっていいじゃない!

【断捨離月間百個捨て作戦】絵本のカバー【ミニマリスト化への道No.030】

絵本のカバーって必要ですか?

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息子に絵本を読み聞かせするってことに関しては最初から結構意識して取り組んできた。何しろついこないだまで、我が家には意図的にテレビを置いていなかった位だ。絵本の数自体はそれほど多くはないが、それでも10冊以上の絵本が息子のために準備されていてそれに応じた数だけ、絵本にカバーがかけられていた。
 
ところが、幼児はカバーをかけたまま絵本を読むってことはしない。ぽいってとってから読むし、カバーどころか、本の中頁はところどころ千切れたり破れたりもする。私は割と早い段階から絵本カバーは不要であると思っていたが、妻が捨てたがらなかったので一旦まとめてとっておいたのだ。
 

結局2年間、カバーがないと困る場面なんて1度もなかった

 
10月に息子は2歳になった。息子が産まれてからの2年間のうちで絵本の数はだいぶ増えたし最近では自分で本を取りにいって広げて読んだりもする。言葉も単語を真似したり、覚えている擬音は発声したりもする。実に順調に育っていると思う。息子はこれからもたくさん絵本を読んでいくのだろう。
 
ところで、絵本カバーが無くて息子が泣いて困ったとか1度でもあっただろうか?
そんなこと1回も無かった。つまり、絵本カバーは不要なのである。これは妻に言うとまた捨てるなとかなんとかなりそうだったので、私の独断で捨てた。
 
実際、必要ないんだもの。なんか言われたら押し通す!
 
(587文字)

【断捨離月間百個捨て作戦】中途半端にしか使わなかった無印良品のノートとルーズリーフ【ミニマリスト化への道No.029】

文房具には「わくわく感」がある

 
ひとそれぞれに文房具に対する気持ちって違うと思う。私の場合は文房具を買い入れる時って、定番品以外は何らかの必要性がある時でそれは往々にして新しいことをする時とリンクしていたりする。だから文房具がかなり多いほうだと思っている。簡単に言うと、新しいことを何かしようとするのとセットで、文房具が増えると考えていただくといい。
 

文房具の数だけ自由がある

 
例えばノート1つとっても、A4だB4だ、いやA5だモレスキンだとか様々あるし、ルーズリーフを主体として紙を差し替えることで常にフレッシュなノートにするとか中身も方眼がいいとかA罫がいいとか、フリーに思考を縛らないように無地がいいとか、本当に無限の選択肢があって、その上でそれぞれのフォーマットをどう活用するのかというのにハウツーが星の数ほどある。それはとても良いことなんだけど、自分自身が何をしたいのかってことがしっかりイメージできていないと、せっかくの文具がうまく使いこなせないことになる。

 

新しいことをはじめたら、全部が全部ちゃんと続くわけでもなくて・・・

 
自分の場合は「新しいことをはじめる」っていうのは裏を返せば「何かがうまくいってないからこそ、その改善策として新しいことをはじめたいんだ」っていう構図の時も多かったように思う。だからなんだろうけど、そういう時って割と迷いを含んでいるまま突っ走っちゃうことが多かった。見切り発車、という具合か。その勢い、まずやってみようよっていうのはとても大事なことだとは思うし、他人にもよく、まず具体的に動くっていうのは言うけれど、それ即ちある程度の挫折とかやらかしとかも含んでしまうわけで、新しいことは始めたものの長続きしなかった、っていうのも珍しくはない。
 
たくさんの挫折や失敗の中から絶対にうまくいかせたい(orうまくいかなきゃ死んじゃう!)みたいなものも出てきて、そういうプロジェクトが最終目的にまで到達する(=継続する)ということなんだろうから挫折しても無駄じゃないんだよなと今は捉えている。
 

そういう過程で無駄になった文房具達

 

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長々と書いたけど、こんな具合で書きかけて挫折したようなノートとかルーズリーフが結構あるもので今回の断捨離でもそこそこな数が出てきてしまった。画像の大きいノートのほうはB4サイズで、これは驚くなかれ10年位前のお悩み解決用に書きはじめていたものだった。もちろんそれだけの時間が経過したから、そこに書かれていた悩みなんてもんは既にどうでもよくなってたりしてた。
 
ルーズリーフのほうはとある書籍で紹介されていた営業成績達成のための具体策を実現するために導入していたものの残りだ。結局書籍で紹介されていたルーズリーフは使いづらくて、自分でフォームを作ったモレスキンで同じTIPSを実行していたんだけどルーズリーフは物理的には不要になったというわけ。
 
今とこれからの自分には、使いかけの文房具は必要ないよね(もちろんエコとかを前提に考えれば再利用可能なんだけどさ)、というわけで捨てた。
(1259文字)

【断捨離月間百個捨て作戦】あまり活用されていないスタバのタンブラー【ミニマリスト化への道No.028】

弟の前妻からいただいたもの

 
私の弟はバツ1だ。今はいい奥様と息子に恵まれたが、彼にも辛い時代があったものだ。今回話題に取り上げるものはそんな弟の前妻から誕生日祝いとしていただいたスタバのタンブラーだ。
 

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もうこの時点で気持ちがどんよりしてくるが、捨てたものではあるのでやっぱりちゃんと記事として取り上げておこうと思ったのだ。
 

何故、身内の誕生日にスタバのタンブラーなの?

 
あれこれ書くと弟の前妻を必要以上にdisることになるので、あまり書くまい。気持ちは嬉しかったのだが身内の誕生日にスタバのタンブラー・・・?というアンバランスさには正直、違和感を感じたことも事実だ。そして、その時感じた違和感は程なく確信に変わるのだが、もう縁もない人のことだ。当事者同士でなければ判らないことも多いだろうから私からはこれ以上推測でモノを語れない。
 

嫌な過去がつきまとうアイテムは捨てるに限る

 
このタンブラーの話とは別なのだが、結婚する数ヶ月前にこうした「嫌な過去引きずってます」系のアイテムは意識して捨てまくった。紙・・・もっとストレートに言えば手紙だとか書類だとか、であったりを燃やして灰にして処分したりしたりもした。さすがにその時点ではそろそろ結婚するんだろうなというのは判っていたし、実際新居に彼女(今は妻)と住みはじめたりしたので、これからの暮らしやこれからの家族に必要のないグッズはそれがモノだろうと手紙だろうと置いておくべきではないと察したのだ。
そして私の場合は、物理的に離れる・消滅することで確かに気の持ちようが変わったのだ。
 
この記事を読んでいただいた方にも是非試していただきたいのだが、あなたの身の回りに嫌な思い出や嫌なエピソードがまとわりついている品物や紙切れのモノはないだろうか?すぐにでも捨てることをお薦めする。結構な確率でその後の人生が好転すると思う。
 
(774文字)

【断捨離月間百個捨て作戦】あまり使っていないDVDデッキのリモコン【ミニマリスト化への道No.027】

ほとんど使ってない・・・だと?

 
ハードウェアヲタクというものは見たら見たままに欲しいって衝撃が走ってしまい、ついつい余計なものを買ってしまうという習性があるものだと個人的には思っている。
今回はそんな無駄な買い物をしたなれの果て、というお話だ。ちょっと前のこと、私はHARDOFFのジャンクコーナーから激安で打ち捨てられた東芝製のDVDレコーダーを発掘した。値段は確か4,000円だったと記憶している。凄く簡単に説明すると、これとパソコンをコンバーター(映像と音をリンクさせてデータ変換する機械、とでも認識しておいてください)で繋げばアレコレと楽しいことができるなーと、そういう目的で購入することになった。
 
思っていた通りに接続すると確かに動くことは動いたが、より完璧に連動させるためにはさらにもう1つ機械を介入させる必要性が出てきた。本当にハードウェアヲタクならばここまで突っ込んでいくところだろう。私もそうしたくはあった。
 

働いていると趣味ばかりってわけにはいかないんだよね

 
ところが、私の野心はそこで止まってしまった。止まってしまった理由はいくつかある。
 
1・追加で導入したい機械がそこそこ高価だった。
 
その頃非正規雇用の境遇に甘んじていた私にとってHARDOFFのジャンクコーナーからDVDレコーダーをあさってくるのもやっとなのに更に追銭をする余力は無かった。追加の機械を導入しないことにはシステムの構築は進まない。ここで壮大な計画はとん挫してしまう。ちなみに、計画が全て実行されれば映像のアナログーデジタル変換は基本的には完全にできる状態になるはずだったが・・・今振り返ってみるとそんなもん本当に必要なものならば業者に頼めばいいやん♪ って話だよな。
 
2・仕事は超絶ブラック企業で肉体的・精神的に余力は無かった
 
いくら趣味とはいえ、あれこれと配線をして動作確認をしてというのは結構な重作業で、それを不定休の1日にやろうという気持ちにはなかなかなれなかった。この時には既に結婚をしていたので家庭としての状況もありつつなので、終日好き勝手に趣味にいそしむというわけにもいかなかった。あと、この頃からはかなり真剣に転職を考えて行動したりもしていたので何となく気持ちがそっちに持っていかれてたというのもある。
 
3・色々な配線がスパゲティ状にぐちゃぐちゃするのに疲れた
 
だったら買うなよって話ではあるんだけど、だんだん色々な配線がはいずりまわるのが嫌になってもきてる頃で、システムを作り上げるまでは配線がそのまんまだったりしててそれが面倒で、惰性でもういいかなーってなったりしてた。
 
働く、生活をするってことに真剣じゃなければ、この程度の趣味はどうとでもなるのだろう。しかし、私自身にはそこまでエネルギーを割ける程の余力が体力・気力・財力の各方面で足りていなかったのだ。
 

さて、このDVDレコーダーだが

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そんなわけで、せっかく4,000円を出して購入したDVDレコーダーは大して活用されるでもなく、お蔵入りとなった。どういうわけかコイツのリモコンだけが今の住まいについてきてたのだ。もちろん、このリモコンが不用品であることは言うまでもない。捨てることにした。
 
それにしても、私の場合はこういう無駄な支出をして大して活用しないモノが増えて、なげなしの金が減るということを長年繰り返してきたんだなぁということを改めて確認することになったわけだ。決して気持ちのいいものじゃないけれど「こういう数千円の積み重ねがあれば今頃はまた違った家計だったりするんじゃないか」っていうのはやっぱり思っちゃうわけで、この辛さを忘れないように今後の生活に反映させていかなければならない。
 
そういう気付きとこれからへの影響が断捨離に取り組んでミニマリストを目指すことの究極の目的じゃないかと感じている。
 
(1572文字)

【断捨離月間百個捨て作戦】古いG-SHOCK【ミニマリスト化への道No.025】

壊れていないから、使えるのだけれど・・・

 
壊れていないから使えるというのは、断捨離的には結構悩ましい問題だったりする。
「もったいないオバケ」よろしく、日本人のDNAに使えるものを再利用する魂が伝承されているのではないかと思える。そしてそれ自体は本当にいい心がけだと思うし、ミニマリストを目指すならば無いよりはあったほうがいいのかもなと今の時点では想像している(=足るを知るということはモノが必要以上に増えないかも?)
 
しかし、現代のように情報もモノも溢れている中では、DNAが感じるままにモノを「もったいない」と思ってとっておくと、無限にモノが増えていくのではないかと今は考えている。今日の話題は、断捨離的には重要ポイントを含むのかもしれない。
 
 

使い古してボロボロのG-SHOCK

 
今回話題に取り上げたのは、20代前半の頃に買ったG-SHOCK。その頃一生懸命ハマってたパチンコでかなり勝った時に帰りがけに何の気なしに買い求めたものである。
 

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なお、少し脱線するが今現在はパチンコ・パチスロの類はやっていない。そこに得るものは何もないということがわかってしまったからだ。
 
話を元に戻そう。大学生の頃は時計を持っていなかったがバイトの時とかに時計がないと結構困ったりした。どう困るかっていうと腕時計が無ければ「あと何時間拘束されるんだろう?」ってのが常にわかるわけじゃないからだ。たまたま壁時計が見えたりすればいいんだけど、そうじゃない時とかに困る。働くの大嫌いだったからね。今思えばかなり腐ってるバイトだと思う(笑)
 
G-SHOCKを買ったのは単純にあまり時計、というかファッションというものに関心がなかったのと当時はG-SHOCKが大ブームになってた上に、メカメカしくてデカいG-SHOCKは嫌いじゃなかったのとで。どうせパチンコで勝ったあぶく銭だし、買っちゃえって感じでサクっと入手してしまった。
 

長い間、唯一の時計として大活躍した

 
その後、社会人になり幾度かの転職等を経る間、ゆうに10年以上私が持つ唯一の時計として活躍した。ちょうどガラケースマホ初期の頃に重なって世間的にも腕時計不要論が盛んだった時期でもあって、とりあえず腕時計しなきゃいかん時にできればいいや、程度の認識だった私にとっては充分な時計だったのだろう。ベルトが切れて使えなくなるまで使い込んだ。記憶では今から5年位前までは使っていたはずだ。
 

電池を入れて、ベルトを交換すれば使えるけどさ

 
この時計は電池を入れて(1,000円~5,000円程度)、ベルトを交換すれば(4,000円程度)まだまだ元気に動くことは動く。そしてそれをだいぶ迷っていたことも事実だ。一方で今の私の暮らしで、真っ黒でゴムっぽさ全開してるG-SHOCKをつける場面があまりない。さすがに齢四十を過ぎるとスーツに20年位前のボロボロのG-SHOCKが合わないことは判るし、今はそういうイメージも一応大事にしたい仕事でもあるのだ。
 
プライベートではタフに使えるG-SHOCKを欲しかったりもするんだけど今の好みはやっぱり若い頃の好みとはだいぶ違うし、G-SHOCK自体の性能やデザインも劇的によくなってきている部分がある。
 
そうした状況下でMAX9,000円近くにもなりうるコストをかけて、過去の思い出ってだけの品物を復活させるというのがどうしても今の自分の感覚とズレが生じていることを認識していた。認識した上で、どうしようかなー、迷うな―って、思考がぐるぐるしていた。かれこれ3年以上ぐるぐるしてたことになる。無駄なエネルギーだった。
 

シンプルな環境でスッキリとした状況判断と生き方を

 
私が断捨離にいそしんでミニマリスト化を志す理由は単に部屋をきれいに快適にというのもあるのだけど、精神的にも物理的にも無駄をそぎ落としてこれからの生き方に最適化させることでトータルで自分自身と自分の周囲を幸せにしていきたいという意向があるからだ。そういうスケールで捉えた時に、この使い古したG-SHOCKというのは、どうにも中途半端なのだ。だから、思い切って捨てることにした。「迷うくらいならば捨てても困らない」とはミニマリストの方がよく言われることだが、それに従ってみることにしたのだ。心がちょっと傷付くけどね。
 
(1755文字)

【断捨離月間百個捨て作戦】水を吸わないバスタオル【ミニマリスト化への道No.026】

水を吸わないバスタオルってどういうことだよ

 
今回取り上げるのは「水を吸わないバスタオル」だ。コイツも3年近く我が家のタオル置き場に陣取っていたつわものだ。バスタオルだけにスペースも結構とっていたんだから、本当に断捨離ってやらないと足元が見えていないものだなーとしみじみする。

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ぱっと見、普通のバスタオルなんですけどね・・・こいつは普通じゃなかった。

 

多分、いただきものだったはず

 
バスタオルとか普通サイズのタオルってなかなか自分で買わないよね?少なくともうちの場合はそうなんだけど。だからこの冗談みたいな性能のバスタオルも恐らくどこからかのいただきものなんだよね。そう考えるともしかしたらタオル業界って贈答品ニーズがかなり高いジャンルじゃないのかなーとか・・・今はそんな話はいいんだ。水を吸わないバスタオルについてなんだ。
 

どうして水を吸わないんだろう?

 
バスタオルとして作られた以上は吸水能力は高いはずだし、そうでなければモノとしての役目を果たさない。ところがこのバスタオルはどういうわけか吸水能力が非常に低くて、風呂上がり等には使い物にならないレベルで水を吸わなかった。当然、日常では出番がほとんどなかった。まるで「メジャーから期待度大で億単位の契約金で呼んだ大砲候補が日本では大型扇風機と化して三振の山で出場がなくなっていく」ような感じだ。阪神タイガースなら古いところでロブ・ディアー選手。巨人ならば数年前のフランシスコ選手とかのタイプ。
 
こうした選手を獲得した時に例外なくスカウトや海外担当者は何を見ていたんだろうと思うものだが、それとほぼ同じような感じでこのタオル作っている会社は何を考えてこんなものを商品として販売しているのだろうかと思ったものだ。メジャーの助っ人を想定したかはともかく、妻も同じ感触だったようでこのバスタオルはほとんど使われることなくバスタオルを入れた棚の一角で出番を待つだけの暮らしになった。転居前から既にあったので3年弱はわが家にあったはずだ。これって結構恐ろしいことで、3年弱もの間不用品をありがたがってスペースの一部に占有させてたってことを意味していて、そんなことのために家賃というコストの一部分を支払っていたのかと思うとかなり不効率だなーと反省しきりである。
 

断捨離の文字通りに

 
断つ、捨てる、離れるを実行しても何の痛みもないし、数年間使っていないし、つまり完全に不要な品物だ。ミニマリストを目指す過程ではこうした面白アイテムもいくつか登場するものだなぁと改めて理解できた、というお話しでした。
 
(1058字)

今宵、妻に意見具申をいたし候

妻に意見具申をいたし候

 
夫婦喧嘩ってレベルではないのだけれど、今夜はちょっと言いにくいことを言わせていただいた。なるべく言いたくないんだけどちょっと最近目に余っていたのと、それに影響されて私のストレスも積もりまくりだったからここらへんでクギ刺しておくかと判断したのだ。
 

妻の趣味

 
妻の趣味はTVとネットサーフィンとゲームだ。どこのオタクだって感じなんだけど、がっつり「インドアだらだら趣味」をフルコンプリートしている。これら3つを同時進行でやられるわ、ヘッドホン・イヤホンの類も着けてくれないわで、最近の私は書斎が欲しいって切実に思っている。
 
趣味趣向の違いなので良いも悪いもないが、かなり悪趣味なモノも好きなのが困りものである。先日は土曜の午前中から「悪の経典」なんていう悪趣味極まりない映画を朝ごはんの準備もせずに見始めたりもして、なんなんだよって感じだった。息子が保育園に行ってるから見れるというのが妻の言い分だったが、俺が見たくない、ていうか飯は?!って言っても相手にしてくれなかった。
 
ちなみに逆に私が音楽を聴いてたりすると結構うるさがられたりする(音楽の趣味もまるで違う)もう平行線のままだから対策として私が自分用にbeatsのイヤホンでも買うかとか思っている。
 
家族での外出時にはスマホを持って、もれなくポケモンGO。こんな田舎でポケモンGOしてどうすんのよと思うけど、まだやってるとこを見る限りでは、楽しいらしい。今年の夏は里帰りした際には私の事なんかどうでもいいくらいに四六時中ポケモンGOだったので後半はいい加減イライラしていた。
 
土日は息子絡みで外出する以外は、基本的にはPCの前に貼りついてネトゲ。息子の相手はほとんどしない。要は私任せ。でもまぁ妻は妻で平日はそれほど余裕ないのだろうからと配慮して、甘んじて私が息子の相手を一手に引き受けていることが殆ど。
 
これは私自身が息子と接することは週末最も大事なミッションと思っていることと、仕事や仕事関係での飲み会や出張等で何だかんだと気分転換する機会は一応ある私と異なり妻はそうした自由度が極端に低いだろうから、その分ゆっくりしてもらおうという意図があってのことだ。
 
ちなみに、私自身も以前はネトゲをかなり熱心にやってたクチで、今でもやりたくないわけではなくて出来るならばやりたいなぁとかも思わないでもない。が、妻がこんな感じなので夫婦揃って息子を相手せずにネトゲするわけにもいかず、やむを得ず手を出さないでいる。
 

妻の立場も最大限に配慮しているつもり

 
妻は某銀行のパート勤務である。勤務時間は8:30-16:30でいわゆるフルタイムに近い。
月~金までの勤務で、職場内はそれなりに女同士やりにくい部分も多いみたいで御苦労さまですって状態。妻はこれまでがずっと小売業のパート中心だったから「これから先を見据えた仕事にしたほうがいいよ」って私が薦めたので、責任を感じている部分もある。平日は朝に息子を保育園に送り、夕方に息子を保育園に迎えに行き、私が帰宅後に夕食の準備をする。まぁ、大変だと思う。
 
私が転職するまでの間、結構不遇だったので共働きで家計を考えていかなければならず申し訳なく思っています。そんなわけで、妻がある程度だらけるのは黙認している部分も多い。
 

でも調子乗りすぎじゃない?

 
今日、夕食を終えると家族全員でリビングへ移動。息子はNETFLIXで幼児番組を視聴。(これもどうかと思うんだけどね・・・)
 
速攻でPCの電源ON⇒ネトゲクライアント立ち上がってログイン⇒ネットサーフィンで雑誌記事をハシゴ⇒TVの番組表を出して今夜のTVをチェック。
この間、私と息子には一瞥もくれず。
 
その後、息子をお風呂に入れるかどうかって話をしたんだけど、どういうわけかフルオートで基本的には私がお風呂の準備をして、私が息子をお風呂に入れるってことになってた。土日の度に息子の相手を丸投げされ続けているし、さすがにちょっとムカってきたわけ。これは一言言っておこうと思った。
 

自分だけが余裕ないわけじゃないぞ、自分だけがやりたいことやれてないわけじゃないぞ

 
今日は来年の目標をあれこれと考えはじめてたところで、来年ちゃんと資格試験を受けて合格させるってことを現実的に見据えた場合、土日の子育て丸投げ状態はちょっと協力していただかないと・・・とか考えたりしていたところだったのもあって。「はぁ?何で俺が息子の相手全部することになってんのよ」ってのが釈然としなかった。妻の立場や大変さを最大限配慮したとしても、やっぱりここ最近バランス悪くない?ってのをなるべく怒らずに意見した。その後は妻がお風呂に入れてくれた。息子に絵本を読んであげていた。一応話の内容は理解していただいたようだ。
 

でも、寝る準備して速攻寝た。つまり私とは関わらなくていいってこと?

 
妻は息子を寝かしつける前にiphonewifiルーターの充電をセットして寝室へ行った。要は私からクギを刺されたから今夜はネトゲもTVも無し=起きてても無駄だから寝る、ってことなのかな? 確かに特別取り立てて妻と何かするとか何か話をするとかってのは無いんだけど、用が無いから寝る的な態度は悲しかった。まぁ妻は都合の悪いことを指摘されると割とふてくされた態度を取るのであまりこれ以上、私がイライラしないようにしようと思っている。
 

夜にブログ記事を書くとネガティブなことを書く 傾向があると言うけれど

 
夜にブログ記事を書くとネガティブなことを書いたりするってよく言われる。実際それは過去の私の場合は間違っていなかったりもする傾向だと思う。でも今後私自身が、そして何らかのきっかけでこの記事を見る人に向けて断言しておくが私はこの記事を書いていて、そんなに怒ってはいないし根に持つつもりもない。妻と折り合いが悪かったので意見したよっていう記録として記事を書いた。
 
妻よ、いい加減にしておかないと俺だって本能では「いい女」と一緒にいたいんだぞ・・・
 
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