【百捨】ADIDASの履きつぶした靴【捨てたものエピソードNo.007】
ADIDASの履きつぶした靴
マラソン80ってモデル名が書かれていた黒いスニーカー。ロゴ以外真っ黒っていうのが気に入って購入していた。
今回もまた恥ずかしい話なんだけど。非正規雇用時代に友人が結婚して、その2次会に参加する際に買った靴なんですよね。元々コンバースが好きだったというのもあってなんだけどお金がないから靴なんてなかなか買えなくって、薄汚れたコンバースしか持ってなかった。さすがに結婚式の2次会に薄汚れたコンバースはないかなぁ、でも私服だからそんなにぶっとんだ靴もなんかおかしいしなーってことで選んだんだよね。しかも安かった。ABCマートで5,000円くらい。
モノは自己主張する。その声がうるさいことも多い
足にはフィットしてて気に入っていたんだけど、だいぶぼろぼろになってきてて。今年ついに靴紐が切れた。少し脱線するけど、モチモノが多いとそれぞれのアイテム1つづつがどうメンテナンスして欲しいかとか、どう取り扱ってもらいたいかとか、それぞれに自己主張をする。これは断捨離やミニマリストに関心がある人、こういう分野である程度やり切れた人達は皆さん言っている。私もそれは全く同感してる。
要するにうるさくなるんですよね。モノが多いとそいつらが一斉にわちゃわちゃ自己主張をする。渋滞で混雑してるからそれぞれの声も大きくなるし(笑)
で、この靴も靴紐が切れて以降、ことあるごとに玄関で「俺様は日常使いメインの靴だぞ、靴紐をはよ買ってこんかい!!」と主張してた。メインの座に君臨していただけに態度もデカい・・・
靴紐を買いなおして、紐通して~って思ってたんだけどね。靴紐を2回買い求めて、2回とも長さが全然合わない。「は?長さくらい測って買いに行けばいいじゃん」と思うだろう。でも慌しくて、靴紐を買うなんて芸当は出張の時くらいじゃないと無理。(ちなみにamazonで買えばいいじゃんって話は今ようやく思いついた。)
こいつの靴紐が切れた頃、私は仕事で結構「きっつー」な業務をうけもっていた頃で心身ともに完全に磨耗していた。資格試験の勉強を中断してしまったくらいに、ダメージが大きかった。そんな日々に自宅に帰ってきてから靴紐なんかまで気が回らないっていうのが正直なところだった。でも、気にはなってるから・・・
①出張とかで、適当にえいやっ!って買う→②サイズが合わずゴミが増える・大した額じゃないけどいらぬ支出もする→③なんだかなぁって微妙な感じになってフラストレーションもたまる
この繰り返しを2周して3周目に突入していた。もうね、バカじゃなかろうか。
本当にそれが必要なのか、安く上がるのかとか根本的に考えてみた
この靴を再利用するのは簡単だろうというのは判ってる。でも今、ミニマリスト志向を強めて徹底的にやってみようじゃないかって(一応ちゃんとした根拠もあった上で)この年齢になって考えている中で、あえてこのボロボロになったスニーカーを再生する必要性があるのだろうか。改めて考えてみた。
私も41歳だし、年齢相応にクラークスの落ち着いたイメージの靴(下の画像参照)とかを普段履きにしたいと考えてて、そうなると1つモノが来る前に手放す必要がある。断捨離がどうとか以前に、うちは賃貸住まいで転勤族だから、今の住まいの下駄箱のキャパからしてもこれ以上靴は増やせない。
こんな感じのシャレオツな靴が欲しいと思ってる
公私問わず、靴ってよく見られる。靴のつま先、かかとなんかがキレイかどうかっていうのは本当に目立つ。靴を人間観察の重要ポイントにしている人も多い。そういう意味でも手持ちの靴の再チェックと、必要に応じての断捨離はやはり大事なタスクなんだろうなと、この記事を書いてて再認識した。
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